大冒険の人類史

 イタリア北部の都市ボルツァーノの博物館に、遥かな時を旅してきた人物のミイラ化した遺体が安置されている。「アイスマンのエッツィ」である。1991年、アルプス山脈の稜線を歩いていたドイツ人夫妻により、凍結した状態で発見されたのである。

 衣服や所持品が余りにも良く出来ていたので、報告を受けた当局は、1900年代初めに行方不明になったハイカーだと思ったという。ところが C14.放射性炭素年代測定法により、化学者たちは思いもよらない事実を知ったのである。実はこの エッツィはまさに太古の人物で、5300年あまり前にアルプス山中を旅していたことがわかったのだ。

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最終氷期に生きた人々

最終氷期に生きた人々  特集:日本列島 日本列島の先史・古代:先史考古学・歴史博物館:工藤雄一郎

 国立歴史民俗博物館の展示は、日本列島で暮らした過去の人々の「生活史」を示すことを最重要しており、またその姿を視覚的に理解しやすく展示するすることを目指している。

 生活史の背景になった『環境史』を描きだすことをテーマの一つとしている。

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日本にいたる人類の「グレート・ジャーニー」(3)

 約10万年前、アフリカを出た私たちの祖先は? 48000年前の航海術の証拠そして実験

世界各地の遺跡の年代調査比較、DNA分析、石器の比較研究、国立科学博物館気鋭の人類学者の重層的な調査によって浮かび上がる。

 ☆:日本への3つの進出ルート、津島、沖縄、北海道ルート

 日本では3万8000年前に、突如人類遺産が爆発的に現れる。それ以前の遺跡には確証がない。それまでいわば無人の野だった日本へ、津島、沖縄、北海道の3ルートから別々に、初めて祖先が足を踏み入れたのである。

 後期旧石器時代のアジアには、大きく分けて南と北の文化圏があったらしいことを見てきた。それぞれ、ヒマラヤの南ルートと北ルートを辿ってきた集団の文化とみなすことが出来そうだ。アジア大陸の東端に達したそれぞれの集団のどれかが、やがて日本列島へ渡ってくる。まず日本列島に古代型人類がいたかという問題を整理し、ホモ・サピエンスが渡来したタイミングを探った上で、彼らの移住経路について考えよう。

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日本にいたる人類の「グレート・ジャーニー」(2)

アフリカで誕生した人類・日本人になるまで
700万年に及ぶ時空を遡り、日本人誕生の謎を探る
日本人の顔とヨーロッパ人の顔は、なぜ“同じではない”のか? 

 私たち日本人の姿形は、ヨーロッパ人と異なっているのか?

 私たちホモ・サピエンスが、誕生したときのままの姿であったとすれば、外見はアフリカ人であるはずだ。なぜならば、ホモ・サピエンスがアフリカで誕生したことは、化石的な証拠からほぼ確実だからである。ところが私たちの姿形は、アフリカ人と異なっている。

 ヨーロッパ人もまた然りである。アフリカで長い時間をかけて猿人から進化し、ホモ・サピエンスになった人類は、アフリカから世界各地へただ移住しただけではなく、その土地土地の環境に適応していったのである。そして、その結果、必然的にヨーロッパではヨーロッパ人に、アジアではアジア人になったのである。

 では、日本人は、いったいどのようにして日本人になったのか? 私たちはなぜ、このような姿形をしているのか? 現代の人類と化石人類の姿形の特徴から、日本人のルーツを探り、その謎を解き明かそうと試みたのだ。

 アフリカで誕生した人類は、いかにして日本人になったのか。700万年にも及ぶ時空を遡り、日本人誕生の謎を探る壮大なグレイト・ジャニーへと旅立つ。早速出かけてみる。

 

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日本にいたる人類の「グレート・ジャーニー」(1)

 約40万年前にアフリカを出た祖先たちは、約4万8000年前、ヒマラヤ山脈を挟で、南北に別れて拡散、1万年後、東アジアで再会する。そして、遥かなる祖先は、古日本列島に、3ルートから進出した。

 3万8000年前の航海術の証拠そして実験、世界各地の遺跡の年代調査比較、DNA分析、石器の比較研究、国立科学博物館気鋭の人類学者の重層的調査によって浮かび上がる日本にいたる人類のグレート・ジャーニー、その新たなる仮説―――

 日本人は何処から来たのか

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