大冒険の人類史

 イタリア北部の都市ボルツァーノの博物館に、遥かな時を旅してきた人物のミイラ化した遺体が安置されている。「アイスマンのエッツィ」である。1991年、アルプス山脈の稜線を歩いていたドイツ人夫妻により、凍結した状態で発見されたのである。

 衣服や所持品が余りにも良く出来ていたので、報告を受けた当局は、1900年代初めに行方不明になったハイカーだと思ったという。ところが C14.放射性炭素年代測定法により、化学者たちは思いもよらない事実を知ったのである。実はこの エッツィはまさに太古の人物で、5300年あまり前にアルプス山中を旅していたことがわかったのだ。

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美の継承・故郷・住居の灯り・ “陰影礼賛”=“日本の民家”

 人類の造形は人間の歴史とともに始まる。それは、生活のための衣食住、生存のための呪術、神仏に祈る等の造形、さらに生きることへの自律世界の創造や社会的諸活動の造形等、次々に世界各地でさまざまな形で展開されてきたのである。

 それらの造形はすべて美術に他ならず、目で見て確かめることが出来る人間の歴史そのものであり、人間の歴史そのものであり、人間の生の真実をありのままに物語るものである。作者の個性表現という点では、絵画や彫刻に特色が見られるが、建築には絵画や彫刻にない特色があり、立体である点で共通している彫刻や工芸とも大きく異なるのである。

 それは人間が内部空間に入り込む、全身で感じとれるような視覚にあること、絵画、彫刻、工芸を問わずあらゆる分野を含む総合的な造形であること、さらに原則として特定の場に固定し、独立した存在であるにとどまらず、周囲の環境との関りという課題を背負っていることである。

 建築は、構造条件に適合することが不可欠であり、これが形の構成美に関ることも特色である。絵画とか工芸とかの分野分類は、たまたま近代以後の文化史体系の中で作られたもので、本来造形はひとつであるという認識の上で、建築の特色を改めて確認し、その上で「民家の造形」について考えてみたいのである。

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“倭の登場”日本列島先史・古代

 古くから日本列島は、海をこえてさまざまな地域と関係を持ち、その影響を受けて変化してきたのである。水田農耕が始まって数百年を経た頃、日本列島は外の世界と新たな関係を持つようになる。「倭」という名称で、日本列島社会は東アシア国際社会へデビューした。後に日本列島は、遣唐使や日本貿易など、折に触れ中国を中心とした東アジア世界との関係に刺激を受けて、時々の社会を変えてゆくが、その始まりはこの時期にある。

 中国や朝鮮半島からもたらされた情報や物資は、各地の社会に受け入れられ、その結びつきを変えていったのである。ここでは、各地の社会を結びつける「もの」や、その「結びつき」に注目して、中国から「倭」と呼ばれ始めた頃の日本列島の様子を眺めてみることにしたい。海を渡り、中国から日本列島各地へと、一・二世紀の東アジアを旅することにしてみよう。

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最終氷期に生きた人々

最終氷期に生きた人々  特集:日本列島 日本列島の先史・古代:先史考古学・歴史博物館:工藤雄一郎

 国立歴史民俗博物館の展示は、日本列島で暮らした過去の人々の「生活史」を示すことを最重要しており、またその姿を視覚的に理解しやすく展示するすることを目指している。

 生活史の背景になった『環境史』を描きだすことをテーマの一つとしている。

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日本にいたる人類の「グレート・ジャーニー」(3)

 約10万年前、アフリカを出た私たちの祖先は? 48000年前の航海術の証拠そして実験

世界各地の遺跡の年代調査比較、DNA分析、石器の比較研究、国立科学博物館気鋭の人類学者の重層的な調査によって浮かび上がる。

 ☆:日本への3つの進出ルート、津島、沖縄、北海道ルート

 日本では3万8000年前に、突如人類遺産が爆発的に現れる。それ以前の遺跡には確証がない。それまでいわば無人の野だった日本へ、津島、沖縄、北海道の3ルートから別々に、初めて祖先が足を踏み入れたのである。

 後期旧石器時代のアジアには、大きく分けて南と北の文化圏があったらしいことを見てきた。それぞれ、ヒマラヤの南ルートと北ルートを辿ってきた集団の文化とみなすことが出来そうだ。アジア大陸の東端に達したそれぞれの集団のどれかが、やがて日本列島へ渡ってくる。まず日本列島に古代型人類がいたかという問題を整理し、ホモ・サピエンスが渡来したタイミングを探った上で、彼らの移住経路について考えよう。

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日本にいたる人類の「グレート・ジャーニー」(2)

アフリカで誕生した人類・日本人になるまで
700万年に及ぶ時空を遡り、日本人誕生の謎を探る
日本人の顔とヨーロッパ人の顔は、なぜ“同じではない”のか? 

 私たち日本人の姿形は、ヨーロッパ人と異なっているのか?

 私たちホモ・サピエンスが、誕生したときのままの姿であったとすれば、外見はアフリカ人であるはずだ。なぜならば、ホモ・サピエンスがアフリカで誕生したことは、化石的な証拠からほぼ確実だからである。ところが私たちの姿形は、アフリカ人と異なっている。

 ヨーロッパ人もまた然りである。アフリカで長い時間をかけて猿人から進化し、ホモ・サピエンスになった人類は、アフリカから世界各地へただ移住しただけではなく、その土地土地の環境に適応していったのである。そして、その結果、必然的にヨーロッパではヨーロッパ人に、アジアではアジア人になったのである。

 では、日本人は、いったいどのようにして日本人になったのか? 私たちはなぜ、このような姿形をしているのか? 現代の人類と化石人類の姿形の特徴から、日本人のルーツを探り、その謎を解き明かそうと試みたのだ。

 アフリカで誕生した人類は、いかにして日本人になったのか。700万年にも及ぶ時空を遡り、日本人誕生の謎を探る壮大なグレイト・ジャニーへと旅立つ。早速出かけてみる。

 

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日本にいたる人類の「グレート・ジャーニー」(1)

 約40万年前にアフリカを出た祖先たちは、約4万8000年前、ヒマラヤ山脈を挟で、南北に別れて拡散、1万年後、東アジアで再会する。そして、遥かなる祖先は、古日本列島に、3ルートから進出した。

 3万8000年前の航海術の証拠そして実験、世界各地の遺跡の年代調査比較、DNA分析、石器の比較研究、国立科学博物館気鋭の人類学者の重層的調査によって浮かび上がる日本にいたる人類のグレート・ジャーニー、その新たなる仮説―――

 日本人は何処から来たのか

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世界の建築家・古代から現代……建築家で辿る名建築の全歴史 古代~中世(第一部)

 PART1

 Ancient Egypt : Ancient Greece : Anecient Rome
 Early christian architecture & Byzantine architecture Romanesque Gothic

 古代エジプト王朝は、混乱期を挟みながら、古王國(紀元前2686~紀元前2181年)、中王国(紀元前2040~紀元前1663)、新王國(紀前1570~紀前1070年)と区分けされる。

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